ビジネス : 予想外の敗北宣言。涙に暮れた時間……。

予想外の敗北宣言。涙に暮れた時間……。

予想外の敗北宣言。涙に暮れた時間……。
大統領選挙が終わった。ヒラリー氏が負けた。予想外の結果に驚きと失望でいっぱいになった。ヒラリー氏の素晴らしすぎる敗北宣言を聴きながら、この人が次期大統領でないことが信じられず、悲しくて泣いた。

でも、私は出来ることを出来る限りやったので、悔いはない。むしろ初めての負け戦なのにすがすがしいほどの感覚に自分では驚いている。そして彼女の選挙応援に長く携わることができたことに感謝したいと思った。

私たち女性のボランティア団体は、11月3日から7日までペンシルベニア州のアーレンタウンにて戸別訪問をし、前日夜にはフィラデルフィアで行われたオバマ大統領、ミッシェル夫人らも参加した最後の演説会場に行った。発表では3万3千人以上が参加し、オバマ大統領の長い演説に続き、ヒラリー氏の誇らしい話しっぷりは、まるで翌日につながる“勝利宣言”のようにも聞こえた。それもそのはず、投開票日前日のこの日、ロイター通信が伝えた90%ヒラリー氏優勢の予想もあり、私たち、ヒラリー陣営の誰一人として、この大統領選挙に“敗北”することなど、まったくの想定外だったのだ。

投票日前日のフィラデルフィアでの最後の演説会場。
3万3千人以上が摂氏2度の中、何時間もかけて参集した。

投票日前日のフィラデルフィアでの最後の演説会場。
3万3千人以上が摂氏2度の中、何時間もかけて参集した。

8日投開票日当日は、プレミアムチケットを手に入れ、勝利宣言を聴くために午前中からマンハッタンの会場に集まっていた。開演が夜7時30分からで、開場は午後4時だったが、いつものように良い席を取るため、友人が10時過ぎから並んでくれた。私は友人らにアイスコーヒーを買うため、8アベニュー、45〜6ストリートのコーヒーショップに入り、気温が上がったのでコートを脱いで「クリントン・ケイン」と書かれた民主党ブルーのTシャツ姿で店を出た。

数メートル歩いた先で、「オー、ノー。ユーキャント・ドゥ・ダット(それはできない)」と叫びながら、トランプサポーターと思われる60代くらいの女性から胸のあたりを押されて、突き飛ばされそうになった。その後も通せんぼをするかのように私の行く手を遮った。異常な状況に後ろにいた3人組の男性たちが気づき、2人が女性を私から遠ざけ、1人が私を近くの信号まで送ってくれた。

けがはなかったものの、もし、彼女がナイフを持っていたら? 私は初めての恐怖で言葉が出なかったが、送ってくれた男性にお礼を言った。彼は私を落ち着かせようとしたのか、何か言葉を言って、私にそれを言うように促した。よくわからなかったが、彼の母国語で「おめでとう」だった。その日は彼の誕生日だったのだ。私は「ハッピー・バースディ、よい1日を」と笑顔で別れた。

そして、方向がわからないまま、その場から離れたくて走った。気が付いたら、タイムズスクエアにいた。いつものように多くの人がいたが私の目に飛び込んできたのは、5人組のトランプサポーターたちだった。全力で走ってきたので、汗ばんでいたものの、すぐにコートを着て、ショップの袋で胸元を隠した。それから、呼吸を整えて会場にいる友達に電話をかけ、何が起こったのか話した。電話を切って、タクシーを探したがどれも乗車中、道も混んでいたので歩いて向かうことにした。途中、ABC放送が作っていた特設会場の横を通りすぎると全身をアメリカの国旗色で装った素敵な白人女性を見かけて声をかけた。

ヒラリー氏の演説会にそんな出で立ちの人が多かったせいか、親近感がわいたのだ。そして勇気を出して聞いた。「あなたは民主党派ですか」。彼女は「私はアメリカ人です」と答えた。宗教や政治については話さない信条の人も多い。が、戸別訪問の多くの経験から、今回何派と表明しない人の多くが「かくれトランプ派」であることに気づいていた。私は「あなたの意見を尊重し敬意を払います」と言った。そして彼女に今あった出来事を話したら、「この国でそんなことがあってはならない。大丈夫? 本当にごめんなさい」と言って抱きしめてくれた。

開演間もなくNY州のクリントン氏勝利発表!

開演間もなくNY州のクリントン氏勝利発表!

ヒラリー氏の会場には大きなスクリーンが用意され、ABC放送の大統領選開票特番が映されていた。私たちは各州の開票結果にヒラリー氏が制すると歓声が上がり、トランプ氏が制するとブーイングが起こるなど、一喜一憂していた。段々とヒラリー氏が劣勢に傾き、そんな中、明日は仕事だからと私の友人も23時ごろに帰宅した。また、この流れでは勝利宣言が聞けないと判断した人々の多くが真夜中0時を前にどんどんと会場を後にしはじめた。

会場全体がピリピリした雰囲気の中、私はたった一人でヒラリー氏が出てくるのを待っていた。夜中の午前2時を回り、選対責任者のポデスタ氏が現れ、「すべての開票にはまだ時間がかかる。今日は遅いからご帰宅ください」と伝えた。5千人入る会場にはまだまだ多くの人が残っていて、私は結果がどうであれ、彼女からの言葉を直接聴きたかった。そして「お疲れ様」と温かい言葉で労い、抱きしめて差し上げたい気持ちだったのだ。

帰宅を促されてから数十分後にヒラリー氏からトランプ氏への敗北を認める荷電があったと後で聞いたが、その夜、この選挙キャンペーンに関わった私たちへの言葉は、きっと見つからなかったに違いない。もしくは、華々しい勝利宣言のみが用意され、“敗北宣言”の準備など思いつきもしなかったのだろう。

仕方なく会場を後にしようとしたとき、目の前で女性が泣き、男性が抱きしめた。友人なのかその2人に5〜6人が抱き着き円陣ができた。私はとっさに「レット・ミー・イン(私も仲間に入れて)」と小さな声で囁いた。一斉に皆が私を受け入れて1分くらいだったか、無言で円陣を組んでいた。ヒラリーサポーターの多くが、この結果を受け入れられず、悲しみの中にいたのだ。

帰りながら数人の人種が違う人たちと「敗因」を話した。皆が言ったのは、今回トランプ氏は実はアメリカの中で、タブーとされてきたこと、つまり移民を排除する、人種差別、女性蔑視、米国優先などを次々と口にした。でもそれは、古き良き時代の強いアメリカを取り戻したいと思う中産階級の白人、低学歴、低所得、45歳以上の主に男性たちの心に火を点けた。特に都会ではなく田舎に住む人だという。そういえば、都心から少し入った地域の戸別訪問で、どちらか決めかねているという人々の多くに明らかにトランプ派がいたのだが、トランプ派と知られたくないために表明しなかったのだろうと後で気が付いた。

帰宅できたのは、午前4時近かった。前々日にインターネット放送のニュース番組からコメント出演の打診をうけていたので、スカイプがつながるか確認したり、会場の写真を送ったりして、生放送に向けて準備した。

また、日本の新聞社へのコメントやその朝締切ということでNYに住む日系人向け新聞への1000文字の寄稿もあり、あわただしく朝を迎えた。完全に2日徹夜で寝不足、心身ともに疲労困憊だった。後で友人が送ってくれたTV画像を見たが、頭と舌が上手く回っておらず、自分が恥ずかしかった。ヒラリー氏敗北宣言の冒頭で居眠りをし、起きては原稿を仕上げて眠りについた。

私のフェイスブックには、情勢が傾いた辺りから、「お疲れ様」のメールが届き始め、気が付くと多くの友人らが温かい言葉を送ってくれていた。私は、悲しみの中にいたのにそんな友人らの優しい労いに嬉しさで涙があふれた。私の無謀なチャレンジを日本や米国内、海外からも応援してくれていた人がこんなにもいたのだ。

冒頭にも書いたが、今回はやれることをやれるだけやったと自信を持って言えるほど、“やりきった”感があり、むしろ、人生初めてなくらい、すがすがしいほどの感覚だった。そして、また彼女の敗北宣言のビデオをじっくりと見た。素晴らしい内容に改めて感動した。この人が次期大統領でないなんて。本当にショックだ。来ていた洋服も黒と紫色。“赤(共和党)と青(民主党)の融合”の象徴かもしれないが、私の目にはお葬式にも近い感覚に映った。友人の一人はその週は会社に黒い服を着ていくと言った。“喪に服す”という意味らしい。

選挙が終わって、私はいくつかのメディアにインタビューされたが、このコラムでも“なぜボランティアをしようと思ったのか”、そのいきさつについて、また次回以降詳しくお話しすることにしましょう。


江木園貴(えぎ そのき)
国際イメージコンサルタント。大分県出身。米国大学留学後、米国テレビ製作会社日本支局入社、TV制作プロデューサー、MC&アナウンサーを経験。その後、衛星放送会社、音楽配信会社などの広報・PR/IRを経て、イメージコンサルティング会社、(株)プレゼランスを設立。アメリカの大学に留学時、偶然見たビル・クリントン氏の大統領選挙の演説の様子に感動し、大統領選挙並びに印象を良くすることに関して研究をはじめ、ロンドンやNYにてカラー、ファッションやヘアメイク、メディアコミュニケーションをはじめとするイメージコンサルティング全般を修得。アメリカにて国際イメージコンサルタントの資格取得。人生を変えるきっかけとなったクリントン氏に20年を経て恩返しするべく、1年間日本での仕事を休み、選挙ボランティアとして活動中。NY在住。